コープデリにいがたの広報誌「こーぷふる」2026年4月号

コープデリにいがたの組合員広報誌「こーぷふる」をご紹介します。生活協同組合コープデリにいがた


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エピソード64挑戦の日々コープデリグループの組合員数は約550万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。群馬県富岡市の春はるこ子さんと界を感じた。富岡にも自分たちき家を事務所として借り、自宅正まこ子ささんの付き合いは長い。「いの生協をつくることにし、翌年で行っていた受注や集計作業もつも一緒にいて、2人で1人み4月頃から地域団体を訪ね歩落ち着いてできるようになった。たい」と春子さんは笑う。50年いて協力を仰ぎ、加入を呼び藤岡の生協は間もなく西部市前の生協立ち上げも、2人で始かけてもらった。6月には会員民生協となってエリアが広がめた。「大変だったけど、あの244名、出資金34万円、40班頃は何もかもが新鮮で楽しかっで生協設立準備会が発足。「自り、富岡の準備会も加わることになって2人は正規職員に。 たよね」と正子さんは懐かしむ。分たちと同じように安全な商品春子さんは事務で組織を支え、当時は食品添加物による食のを求める人が大勢いると分かっ安全性が社会問題になっていた」と春子さんは振り返る。た。近くの藤岡市で、すでに生50歳を前に退職した。正子さんは60歳まで勤め、宅配の副センター長やミニコープの店長も歴協が安全性の高い食品を扱って………§………任した。毎日遅くまで働いて「おいると聞いた2人は、すぐに訪母さんは私と生協のどっちを取ねて入会を願い出た。2人は当仲間は増えたが、事務所もノるの?」と子どもに迫られたこ時30代、1歳から小学生の子どウハウもない。春子さんと正子ともあったが、組織づくりや組もがおり、子どもたちに着色料さんも午前中は勤めがあり、専合員対応に力をそそぎ、今につや保存料の少ない安全なものを従職員もいなかった。壁にぶつながる活動の基礎を築いた。食べさせたい一心だった。エリかるたび、話し合って知恵を出西部市民生協は、県内の生協ア外なので配達はしてもらえなし合い、試行錯誤を重ねて乗りとの合併を経て、1992年かったが、一つの班として加入越えた。全てが挑戦で、毎日がにコープぐんまとなった。生協し、購入することは認めてもら輝いていた。藤岡の人たちもとともに歩んできた春子さんと えた。1975年の暮れのこ 運営のノウハウを惜しみなく正子さんが「自分たちが手探りとだ。教えてくれた。経理担当だった で始めた活動が発展して、こん所属していた婦人団体の仲間春子さんは効率的な帳簿付けをなに大きな組織につながった。に呼びかけて注文をまとめ、月教わり、正子さんはスライド映頑張ったかいがある」と話すに3回夕方に、正子さんが自家写機を借りて、加入する組合員コープぐんまは、今年4月に70用車を運転し、春子さんと2人に向けた「生協とは」「食品添周年を迎える。で藤岡まで15品目ほどの商品を取りに行き、帰りに配って回っ加物とは」の説明会を各地で行った。1.5トンのトラックもた。正子さんは「本気でやるな譲ってもらい、運転できる知人ら協力するよ」と言ってくれたを探しては配達を頼んだ。「収夫に幼い子どもたちを託した。穫で忙しい農家の人に配達してやりがいはあったが、口コミもらうため、私と子どもでこんで組合員がどんどん増え、数カにゃく芋堀りをしたこともあり月もすると手弁当での活動に限ます」と春子さん。8月には空illustration:Maiko Dake過去の物語もこちらから読めますあなたのエピソードをお寄せください。コープ職員との心に残る出来事を随時募集しています。氏名・電話番号・組合員コードを記入し、郵便(〒336-8526埼玉県さいたま市南区根岸1-4-13 コープデリ連合会 コミュニケーション推進部宛)か、左記のWeb応募フォームよりお送りください。♦実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、読み物の形にまとめています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。イラストはイメージです。07


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